兵を護る危機管理を先駆けた武人福島大尉のならでは(NO-3)ーならではとは何か
福島大尉の4つのならでは
ならでは①:八甲山雪中行軍で示した危機にしない兵を護るという危機意識(に基づく寒冷・寒地対策)。
当時危機管理や危険見積もりという概念は無かったであろう。また当時の雪中行軍の記録を見ると危機にしないという発想も乏しく雪・寒気対策のルーチン化(「明治30年代前半の歩兵連隊雪中行軍」(小関論恒雄、医譚第74号(1999.3))がせいぜいだったようで、福島大尉は危機にしないレベルであった。福島大尉は今の時代でいうところの危機管理を先駆けて実践した。最悪(の露営に備える)、(予想外に備えるため悪天候を喜び、そこで得た経験値を)標準尺度、48時間50分の不眠行軍(倍加する危険・困難の意)という用語使用に危機意識が表れている。
ならでは②:八甲田山雪中行軍で「極意」を得た。
最悪の露営には露営演習で究めた先行成案、折からの大寒波襲来には雪中露営演習や岩木山雪中強行軍で得た経験値を標準尺度とし、難所・八甲田山越えには当初から最大の山場として(気象と地形と不眠・疲労が重なる)倍加する危険困難の予測(結果的に48時間50分の不眠行軍)が決め手であった。また常に次への余力を持っていた。これらの決め手や次への余力が難しい訓練・研究の極意であり、他者のそれへの道筋となるべきものであった。
ならでは③:実戦での倍加する危険困難と言う危機意識(に基づく克捷方略)。
八甲田山雪中行軍での48時間50分(気象・地形に加え不眠・疲労・空腹等が加わる危険困難)を拡充し、(論文二つで)寒地寒冷の実戦では倍加する危険困難(八甲田山のふらふらに敵が加わり、さらに夜間・山地という戦いの困難さが加わる)という危機意識に基づき、損害を少なくして勝つため作戦計画より休養方略優先(論文「影響」)或いは露軍の弱点に乗じる(論文「一慮」)という余力を保持し対応力を高める方略を提言した。
ならでは④:上記3項を含め不易流行への思い。
雪中露営演習実施報告では要務令改正を提言し、各実施報告・論文で冬季訓練・研究の推進を口酸っぱく説き、課題「梵珠山防御計画」では歩兵操典改正を提起する等不易流行への思いは篤い。
(福島大尉の心コーナー記載)
2022-04-08 19:06
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