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【よろくのよろく】福島大尉の実行力を訪ねてー 三度目の青森旅ー梵珠山に登る(続き)  [よろくのよろく旅]

梵珠山上で福島大尉の詩心に遊ぶ

福島大尉は山上での素晴らしい眺め、に酔いながら、秘かに構想し始めた岩木山・中央山脈・八甲田山の冬季雪中行軍を思い描いた、に違いない。同時に陸奥に入っての感興が蘇った、であろう。
私は眼前の光景を下敷きに福島大尉の詩心を楽しんだ。本稿では、そのさまを書きたい。

時事所感

露取遼東独山東【露は遼東を取り、独は山東】渤海奔波殺気風【渤海の奔波(ほんぱ)殺気の風】辺警危哉機一髪【辺警危き哉(かな)機一髪】神州栄辱在此中【神州の栄辱(えいじょく)此(こ)の中に在り】

赴任途次、国鉄奥羽線の車中での作(野辺地に達する前)であろう。日清戦争後の三国干渉による憤激・臥薪嘗胆の思いと国難対露戦が現実味を帯びてくる予感を詠っている。1年後の梵珠山上で、赴任時車窓から抱いた予感が自分の身に迫って来た、のを感じた、であろう。

野辺地に達す

易水悲歌思燕客【易水の悲歌、燕客(えんかく)を思い】単身北去路漫々【単身北に去るの路(みち)漫々】笛声時破車窓夢【笛声時に車窓の夢を破る】八甲田山残月寒【八甲田山残月寒し】

易水=刺客荊軻が燕の太守丹と別れた地、漫々=路が長く遠いさま
赴任途次、国鉄奥羽線で八戸を過ぎ、野辺地付近走行中の作であろう。遥々遠くへ来た、漸く陸奥だ、との思いを汽笛に破られた時、夜寒の中、凛とした八甲田山を初めて見た。近寄りがたい、これが八甲田山か!1年たって、梵珠山上からみる八甲田山。随分近い、厳しい山行きになるだろう、その日にどうすれば行き着けるか?!

青森湾即目

右望恐山左右崎【右に恐山を望み左に右崎】層蛮断処海漫瀰【層蛮(そうばん)断つ処、海は漫瀰】北東地勢如蛇首【北東の地勢は蛇首の如く】開口将呑鄂羅斯【開口将(まさ)に鄂羅斯(露国)を呑まんとす】

層蛮=幾重にも重なる蛮行、漫瀰=水が広々と果てしなく広がっているさま、鄂羅斯=憎々しい露国の意。
露国の蛮行を断つ所はこの地、北東の地勢は蛇が鎌首を擡げたようで、その口(青森湾の開口部)は露国を将に飲み込まんとしている。これも赴任途次の作であろう。自分がこの地で露国をすっぽり飲み込んでしまう策と兵をを練る、の気概が伝わってくる。
1年後、梵珠山上で青森湾(陸奥湾)を眼下に、かっての思いを大言壮語、虚妄に終わらせてはならない、との覚悟を新たにした、に違いない。 

遊津軽富士

樹是簫疎石是頑【樹は是簫疎にして石は是頑(かたくな)なり】孱顔仰盡又孱顔【孱顔(せんがん)仰ぎ盡し又孱顔】北門勝景将窮遠【北門の勝景、将に遠きを窮めんとす】攀蹟奥州第一山【攀蹟(はんせい)す奥州第一山(だいいちざん)】

簫疎=物寂しくまばらなさま、孱顔=頼りない顔、孱顔仰盡又孱顔=山が高いさま、攀蹟=攀じ登る
日々、弘前衛戍地から見る岩木山は見事である。その姿に惹かれすぐに岩木山に登った。その時の思いを詠った。梵珠山上から、四方一望の中でみる岩木山は美しい。矢張り礼を尽くして、まずは岩木山から・・・。

この稿終わり
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【よろくのよろく】福島大尉の実行力を訪ねてー3度目の青森旅ー梵珠山に登る  [よろくのよろく旅]

前置き

新しくよろくのよろく旅を始める事を思いついた。福島旅の中では本筋からも脇本筋(よろく旅の事)からも逸れる。しかしその土地での名前も知らない方との珠玉の出会いやご縁があったからこそ、意義ある脇本筋や本筋も出来た。今回の青森旅がその事に気づかせてくれた。感謝をこめて綴りたい。

そう思うと、過去にも色々あったが、気づかずに過ごした事が多かった、であろう、勿体ない事をした、と思う・・・。今からでも遅くない、過去10年の福島旅の中で、今に繋がった出会い旅を思い起こし、同時にこれからにつながる新しい出会い旅を散歩気分で始めたい。

平成25年9月19日~20日表題の通り、青森を訪れた。

18日の夜JALで青森に入り、青森駅前で泊。前日までの3日続きの雨も止み、肌寒い陽気、一気に秋を感じた。翌朝、敢えて国道27号沿いに弘前に向かった。大釈迦から見た梵珠山。(下写真中央)

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天気は良いし、青森湾の眺めを、梵珠山(468m)から福島大尉がどういう思いで見たか、感じたくなった。車が通る道の有無は判らないが行ける処まで行ってみよう。幸い手前に青森県民の森があるみたいだ。

県民の森に着くと、案の常、行き止まり。その手前に案内板があった。
それを眺めながら、引き返すか、登り降り併せて2時間強の寄り道をするか否かの思案を始めた。ふと横の車の陰に人影、これから登山支度中の妙齢のご婦人を発見。そこで山上での見晴らしについて尋ねると、360度素晴らしい、途中にも展望所がある。こんな上天気はめったにない、との事。それで登ってみる事にし、そのご婦人と別れ、案内センターへ。

青森県立ふれあいセンターでは後藤さんと云う方が来意を告げた私の身なり、足元を見て、その靴(通勤用の革靴)では汚れます、これで良かったら、とゴム長(一番小さいサイズの26cm)を差し出してくれた。私は24.5cm、ぶかぶかは我慢、我慢と、ご好意を謝しつつ、後戻って【サワグルミの道】まで戻るのも嫌で、【マンガンの道】を辿って出発。(下写真はルートガイド図:青森県立自然ふれあいセンター作成)

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陸奥湾展望所で、先程の妙齢の御婦人に追いつく、陸奥湾の眺めを堪能し、暫し休憩。(下写真は陸奥湾)

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ここからは自然に、同行、木漏れ陽を浴び、爽やかな風に身を委ねながら、会話も弾む。生きて動けるからこその”悦楽”に感謝!
やがて山頂に着き、展望台へ登る。話しに違わず素晴らしい眺め。南八甲田山について、あれは高岳、前岳は向こう側等説明を聞く、そういえば、過去2度の青森行きでは、このように具体的に八甲田山を掘り下げた事は無かった。何でそんなに詳しいのか、尋ねると冬の八甲田山の山スキーが趣味だ、その為山歩きで今の内に足腰を鍛えている、との事。道理で詳しいはず。感謝! (下写真は南八甲田山)。

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頂上で暫し休憩、生憎岩木山は樹木で観えない。然らばと降りは【サワグルミの道】を撰び、岩木山展望所の眺めに期待して降る。途中木の実が気になって記念にと拾うが名前が分からない、彼女に聞くとこれは栃の実(下写真の左)、それはブナの実(下写真中)。小さいころからお父さんが営林署勤務で自然と山に親しんだ、との事。

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やがて展望所に着き、眺めを堪能。(下写真は岩木山)

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この途で、福島大尉は戦術課題【梵珠山防御計画】を練る為、登ったであろう。その時岩木山や八甲田山を目の当たりにして、これ等をぐるり巡る雪中行軍構想、誰も思いつかない、の芽を育んだ、に違いない、と思えてきた。

降りきって、案内板の前でお礼を述べて、彼女と別れた。同行二人、天気最高、福島大尉の導きも感じて、楽しい一時であった。有意義な出会いとご縁とご好意に感謝!頂上への散歩?を思い立たせてくれた妙齢の御婦人に感謝! こんな素晴らしい環境を整備してくれた青森県民に感謝!

終わりに

何故今回の旅か、について触れて置きたい。
今、私は論文【影響】の次のシリーズ【熟者への歩み】を思っている。その山場は福島大尉の戦術課題【梵珠山防御計画】を思う旅(仮定)になる。そしてついでにもう少し先になる終章の山場は福島大尉の葬儀が群馬でもなく、山形でもなく、弘前で行われた事を思う旅(仮定)になる、と思っている。その二つの山場における福島大尉や周辺の人々の思いを訪ねる為に三度青森に来た。

本稿が書き始めてから、丁度100作目になる。節目の投稿が始めてのよろくのよろく旅。3度目の青森旅、というのもなかなか面白い。

この稿終わり
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