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兵を護る危機管理を先駆けた武人福島大尉のならでは(NO-7)ーならではが目指したもの


精兵と魅力化の追求

 福島大尉は日本軍が露軍に遅れている寒地・寒冷の戦いでよりよく勝つことを狙っていた。そこに向かって福島大尉は下士のなり手が無いという問題を誰よりも深刻にとらえていた。連隊の教育委員として下士の教育責任者の立場を活かし、厳しい場を求め、能力の高い下士候をして冬(岩木山強行軍)も夏(夏季強行軍)もやり抜き、困苦欠乏に堪え進取と自信力を増して東北の兵は精兵であるを証した。それを踏まえ酷寒の大陸での露軍との戦いを想定した厳冬期の山岳通過行軍(八甲田山雪中行軍)に見習士官・下士候主体の少数精鋭で臨み、危機にしない寒地寒冷対策を講じて、一名の落伍者もなく1878年1月の露土戦争における露軍のバルカン山越えを並び越えた。前人未到の成果はなり手のない下士を真に主役にすることで軍の魅力化を図ったもの、という側面もある。折から(明治35年1月29日頃に)行われた師団長会議の議題は「下士の奨励策」で、各師団長はその策を発表することになっていた。天皇陛下のご臨席を賜るであろうその場に成果を届け、お言葉を賜る栄と軍魅力化の一層の推進を図ることが狙いであったことは十分推察できる。行軍出発前の父への書簡「上手くゆけば天皇陛下奏上」はこれを窺わせる。しかし、第5連隊遭難が覆い隠した。



参照:福島大尉から武人の心探求記念館:http://www17.plala.or.jp/bujinn-kokoro/index.html

    (福島大尉の心コーナー記載)


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