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「武人、その心」を始めるに当たって [連綿と続く武人の心]

 今まで「拓く 福島泰蔵大尉正伝」上梓後のフォローをブログ「福島泰蔵大尉の実行力を訪ねて」及び「晴耕雨書」で行って来た。新設ブログ「武人、その心」のフォローも続けたい。

「武人、その心」の全般構成は「天武天皇の志」と「武人大伴家持」(仮)をストーリー的に繋いだ【序論】と【本論】であり、カテゴリー「連綿と続く武人の心」に位置付けると今のところ構想している。以下は本論の構成の説明も兼ねている。既述区分などは仮設定である。
 
 私は「拓く 福島泰蔵正伝」で書いたことに重ねてブログ「武人、その心」のカテゴリー「連綿と続く武人の心」の「天武天皇の志その1大疑問から連綿と続く武人の心へ」でフォロー間に常に脳裏にあった問題意識の3番目として「大伴家持、福島大尉、今の自衛官と3つの「顧みずの心」が時代が変わり武の形態も変化しているのに、形の上で繋がっている。この繫がりを考えてみたい。「拓く 福島泰蔵正伝」で福島大尉の武の心を学ぶことは福島大尉を通じて武の心(もののふの心)を学ぶことである、と述べた。今この考えを再度確かめたい」と書いた。ここを掘り下げ、本テーマを思いついたが、何故このテーマ「武人、その心」か等の説明は【本論序段】でと考えているので、考え方や定義等の基本事項は本ブログ上で予め触れておいた方が良いと考える。

 そしてこの3つの繋がりは武人としての心の繋がりだと思い到り、新しくブログを始める諸々のコンセプトの整理と覚悟がついた。ここで言う武人は「拓く 福島泰蔵正伝」のカバー(裏)の「ついに黒溝台に散った武人の人物評伝なる!」で意図した”武人”である。私は戦士を統べる者として良く戦い、独りの戦士としても良く戦ったという人物像をイメージして”武人”とした。ここで戦士・武人としたのは兵士・将校では陸軍だけに留まるイメージとなり、時代を通しての普遍性を持つという意味で表記とした。そして武人について広辞林(第五版)で「武技を職とする人。」と定義され、「武士。軍人。つわもの。」と例示されているので、自衛官も該当する。

 このイメージの武人に必須のものは強さであるが強さだけ、特に優しさがない、では武人とは言えない。特に戦士を統べる者には心すべきことだと考える。

 ここで武人を考える切り口として金言を挙げると、「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」( レイモンド・チャンドラー(ハードボイルド作家))。「仁に過ぎれば弱くなる、義に過ぎれば固くなる」(伊達政宗)や「優しさほど強いものはなく、本当の強さほど優しいものはない」(ラルフ・ソックマン)などがある。

「タフでなければ生きて行けない。優しくなければ生きている資格がない」(レイモンド・チャンドラー(ハードボイルド作家))のタフを強くと生きてを戦うと読み替えると武人のイメージに近づいてくる。しかし立場によって資格の意味が異なる。戦士としての戦う資格と統べる者としての戦う即ち統べる資格があるが、リーダー論に関心を持ち旅を続けてきた私としては統べる者に重きを置いた視点でこの金言を解釈し、以後武人の心すべきものを考えたい、と思う。【以上本論序段】

 そして上記金言の解釈に沿って、大伴家持に始まり福島泰蔵大尉を経て最後に硫黄島の栗林中将へと続く武人の心の繋がりに思いを巡らすこととしたい【以上本論前段】。ここで栗林中将を挙げたのは福島大尉同様に戦士を統べる者として良く戦い、独りの戦士としても良く戦った、最後まで統べる任務を全うした、唯一陸軍中将でありながら戦士として突撃を行った、武人だからである。

 この三者は透徹した使命感を持ち闘争心旺盛で、無私・自己犠牲をとことん貫き、ことに際しての見事な覚悟と出処等とことん純な武人であろうとしたところ、これは顧みずの心の本質と考える、が共通している、と今のところ私は考え、数多武人がいるなかで代表的存在であると感銘深く認識している。

 この三者の心の繋がりを考えることは時代を通じる顧みずの心即ち武の心の流れを考えることと同意である。この流れを本テーマの本筋の流れとして、他の戦史などの武人も適宜交えて、武人の心、顧みずの心の在り様を「不易主(流行従)」の観点から考えたい。

 この「不易主」の具体的視点として硫黄島に限らず今次大戦で草生す屍、水漬く屍となりそのまま74年間風雨に晒され続けた英霊の御魂を鎮める一助となればという鎮魂の思いに立ちたい。兵がやむにやまれぬ状況や指揮官の決断・命令を受け入れ、死地に進んで身を投じ、英霊となって後も安らかで居られるような統べる立場にある武人の在り様とはに思いを巡らしたい。そして統べる者が抱えていた”不条理”にどのように向き合ったのか、を思うと同時にその”不条理”そのものにも目を向けたい、そうすることが少しでも鎮魂に近づくと思う。
 
 そして上記の鎮魂の思いで考える武人の在り様はブログ「武人、その心」のカテゴリー「連綿と続く武人の心」の(天武天皇の志(その1大疑問から連綿と続く武人の心へ)で常に脳裏にあった問題意識4番目の「福島大尉は忠孝両全の志の内に陸軍の不条理をただし、本当に兵が戦い勝てる陸軍にしたい、という憤りに基づく篤い思いも潜ませていた」という篤い思いが後にどう生かされたのかという「福島大尉ありせば」の思いの答えになると思う。何故なら”兵への思い”で重なる、から。

 この鎮魂の思いへの気づきは陸上自衛隊幹部候補生学校第99期一般幹部候補生課程(BU)卒業式での青木氏との貴重な出会いで得られた。青木氏に感謝!である。

 「不易主」を考えれば「流行主」も考えなければならない。栗林中将で大東亜戦争における捷号決戦が破綻した後に連合軍の本土進攻を遅らせるべき島嶼防衛構想の一環としての硫黄島防衛戦史を考える。「流行主」を考えるに当たっては、栗林中将と同じく今に最も近い時代の戦いとして大東亜戦争においてインド方面からの援将ルート遮断を目的として行われたビルマ方面の作戦で攻勢から守勢へと転換する厳しい局面の戦いを考える。理由はこの中にその宝が多いと感じて来たからである。これに適宜他の戦史を加えて、「流行主」の観点から考えたい。【以上本論中段】

 このため、「流行主」の視点は前記不易で挙げた視点について、上記戦史の中に私の中でひっかりというか割り切れないもの【不条理と感じて来た】が幾つかある。その何処が、何に由来するのか、という切り口としたい。
 その先に、今・これからの日本の武人の心の在り様に思いを巡らしたい。これを以て先人から受け継ぐ襷、となればと思う。【以上本論後段】

終り
以上は未だ漠とした部分を抱えている。抱えながらも丁度この稿で、3つのブログがスパイラルに一つの階に達した。これからも思いを深めながらプロセスも詰めて行きたい。
 
参照ブログ:「武人、その心」(天武天皇の志(その1大疑問から連綿と続く武人の心)https://buzinnsonokokoro.blog.so-net.ne.jp/、「陸上自衛隊幹部候補生学校第99期一般幹部候補生課程(BU)卒業式に思う(続・終)」/「晴耕雨書」https://yamaimo-syobu-botan.blog.so-net.ne.jp/ 

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