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熟者《事を為すリーダー》福島大尉への歩み その十三 八甲田山雪中行軍の総括(続き) [福島大尉の実行力を訪ねてー愈々八甲田山パート3]

二つ、”成しよう”からみえてくるもの

一つ目、目指したものの到達度

一番目、冒険行軍と研究調査、無事故の3つを想像を越える事態の中で3つともに達成した。

二番目、厳しい場を求め、未曾有の状況の中で行動したからこその成果があった。

最大のものは非常の困難の実相を深刻に体得した、事であった。一面の銀世界を猛吹雪下に行軍すれば目標の識別に苦労し、或いは道筋を捜し続ける難渋状態が長時間続く、長時間続けば怪我・疲労・凍傷という3つのリスクがより強くなる。そして一旦人里離れた場所で落伍者が発生すれば、救助に窮する2次リスクが現れる。危機の連鎖の恐さに抗し続けた。そのギリギリのところで、無事故を達成した。膝捻挫の為、大事をとって原隊復帰させた者を除き1名の落伍者も生じさせなかった。安全管理の究極のあるべき姿、と言っても過言ではない。

三番目、冬季行動標準に資する研究・調査の成果も多く得た。全ての隊員に研究・調査の任務を付与した。行軍にあえぎながら隊員は貴重な実資料を収集した。その資料を福島大尉自ら組み込んだ実施報告書は質の高いものであった。又ならではの経験をもとにした成果もあった。露軍の規定である、零点下12度になれば翌日の行軍をする、の本当の理由が猛烈な寒気により足元から凍傷を起こす、からを体得した。

四番目、冬季大陸で戦うビジョン、その戦いに備え大陸の酷寒に相当する山岳通過強行軍という訓練のビジョンを掲げ、実際に中央山脈や八甲田山に立った。猛吹雪・酷寒・深雪の中、強行軍や露営をして、その可能性や問題点を体得した。やれば出来る、を実証した。

五番目、見習い士官や下士中心の編成として、得難い経験を積ませ、来たるべき戦場で役立つ指揮官を数多く育成した。

六番目、未曾有の寒波の襲来は全くの予想外であった。戦場での予想外に対応する為、敢えて厳しい場を求めて来た事は間違いではなかった。全員うろたえたり、たじろいだりせず、務めを果たした。国難日露戦争ではこの経験がきっと役立つ、との確信を得た。

七番目、冒険行軍ではあったが、成功の目途と成算のある冒険であった。

八番目、目指した露軍に学び・並び・越える、は今回の行軍でその可能性が十分にあり、為せば成る、を証明した。この意義は大きい。これをばねにする事でより多くの隊員・部隊が学び・並び・越える、域に達し得る。

九番目、実行動と学理の吻合

実施報告において厳しい実行動で得た成果と正攻法で研鑽した学理をより高いレベルで吻合させた。

十番目、第五連隊遭難の”葛藤”がもたらしたもの

その”葛藤”の中で、成果を広く世に伝える、は諦めざるを得なかった。寧ろ潔く沈黙した。思考の中で大きな比重を占めたのは遭難者に対する追悼の思いと立見師団長の苦悩、第五連隊遭難の責任者としての苦悩への共感であった。私心なくそう思い、立見師団長と苦悩を共有する事で、二人の関係は新たな次元に入って行った。

第五連隊遭難で天皇陛下奏上は吹っ飛び、冬季行動標準提言は幻と化した。しかし、果たした成果は何時か活きる、活かして見せる、との思いを”葛藤”の中で自分に言い聞かせたに違いない。

二つ目、”成した”意義ー私の定義『誰もなし得ない偉大な業績(仮定)』の”偉大”を思う

”成した事”が偉大であるか否か、は①、周囲に与えた影響と惹き起こされた行動の強弱・大小の度合、②、①に伴う影響や行動の持続性、③、成した事から拡がる発展性等に拠り決まるのではないか、と思う。

しかし、第五連隊の遭難は日本中を驚愕のるつぼに放り込んだ。速やかに事態収拾、という国家の方針もあり、弘前行軍隊の偉業は完全に陰に追いやられてしまった。寧ろ、弘前行軍隊そのもののが邪魔な存在とすら言えたかもしれない。そういう訳で、きちんと向き合い評価した資料は無い。従って上記冒険行軍や研究調査行軍及び厳しい訓練と安全管理の両立の内容等について一般人が目にする機会もなかった。

しかし、福島大尉が残し、遺族が守り続けてきた遺品にはその貴重な手がかりがある。本ブログ旅で福島大尉に近づきたい思いで、生資料ならではの福島旅を行って来た。たら・ればも交えた考察ではあるが、私は①~③について、”偉大な業績”であると確信する。

国難日露戦争必至の情勢下、大陸での酷寒を見据えた行動標準作りの仕上げとしての八甲田山雪中行軍は大きなインパクトを与えるはずであった。何故なら当時の日本陸軍には野外要務令を始めとして、冬季の行動標準と呼べるものは無かった。従って福島大尉は戦史や諸外国の典令を調べ、行動標準の内容・要領等の実験項目を定め、これを大陸の酷寒に相当する山岳で実験した。この方式は陸軍でも試みられていない画期的なものであった。其の厳しさ、求める高さから全軍に広める価値と普遍性が認められるものであった。・・ので第五連隊遭難が無ければ、公表されたであろうし、公表されていたら何らかの改定などがされたはず。

厳冬期の八甲田山雪中行軍は未曾有の大寒波の襲来もあり、非常に困難な行軍であった。にも拘わらずそのプロセスや周到な取り組み等からフロックではなく必然の成功であった。これほどの厳しさの中で一人の犠牲者を出さなかった事も今に通じる安全管理の究極の姿であった。戦場での予想外を無くすという信念で敢えて厳しさを求めた姿勢は軍隊が本来持つべき姿そのものであった。これ等の成功は他の部隊が学ぶべき多くの教訓を含んでいた。・・ので第五連隊遭難が無ければ、公表されたであろうし、公表されていたら他部隊の訓練等にとりいれられたはず。

八甲田山雪中行軍の成功は一躍露軍に並び・越えるレベルにある事即ち日本陸軍の実力を証明したに等しい。・・ので第五連隊遭難が無ければ当然公表されたであろうし、公表されていたら露軍に対しては日本侮るべからず、国内に於いてはやればできるの刺激となったはず。

以上から①②③については公表されたらという前提ではあるが、大いに注目され、活用された、であろう。広い範囲でインパクトのある影響を与え行動を惹起して、今に語り継がれ、或いはもっと素晴らしい試みが出現していたかもしれない。

私は福島大尉が残した資料に目を通す度、その魅力に惹かれ、今の時代、とりわけ陸上自衛隊を中心とする社会に活かすべき内容に溢れていると強く思って来た。だからもっと福島大尉に近づきたい。福島大尉のなした事や人となりを知る人がもっと増えて欲しい、と思い続けて旅を続けて来た。

今に活かし、広く知られることは111年余を経て、福島大尉とそのなした事が当たり前に評価される事である。

三つ目、”成しよう”から見えてくるもの

”為しよう”の底流に潜み、一貫しているものは?について、事を為すの根本を”成しよう”からのアプローチで拾いあげたい。以下の五つが主な視点である。①自信と余裕、②志の深化、③福島大尉の自己研さんや軍務遂行の”流儀”、④篤い思いと私心のなさ、⑤理解者立見師団長の存在。

一番目、自信と余裕ー2つ同時追求を可能したもの

その一、自信と余裕を持って決断したその後の展開

福島大尉は八甲田山雪中行軍(冬季山岳通過雪中強行軍)実施報告の冒頭で、既往3年内の露営演習、実験行軍や研究調査は本行軍を”自信と余裕”を持って決断せしめた、と述べている。換言すれば一連の演習や実験行軍、研究調査に本気で取り組み、結果を出したので、本行軍を”自信と余裕”を持って決断できた、と言っている訳である。厳冬期に中央及び八甲田山脈を連続通過する、という前人未到の試み、の困難さは想像外。この想像外の困難の克服に”自信と余裕”がどのように発揮されたか、を見て行く。

その二、2つの同時追求

冒険的行軍に挑みつつ研究調査を完遂する事と一人の犠牲者も出さない、の2つを同時に追求した。前者は高いレベルを目指しとことんの準備で、後者は危険見積りをとことん行う事でその必成を期した。”自信と余裕”がここまでの凄味を齎した。

その三、先見と余裕

”自信と余裕は”常に先を見る目線と余裕を齎した。特に最悪事態の露営の場面で、自らは疲労・不眠の極に在りながら、隊員を一人たりとも眠らせないよう目を光らせる余裕があった。又常に先を見て手を打つ余裕もあった。即ち長内文治郎宅の捜索隊派遣の決心がそうであった。お助け小屋発見となり、極限の49時間不眠行軍を支える、窮地を救う貴重な休養を齎した。

『成せるか否か不明のなかで事を為す』決断をする際の”自信と余裕”の大切さを物語る貴重な教訓である。

二番目、志の深化ーチャンスを掴み、次の課題を見つける道しるべ

今やるべきと信じ、出来る事を追求する姿勢が志の深化となって表れている。

士官任官直後の志は野外要務令体現の第一人者になる、であった。その努力の過程で次項とも関連するが台湾勤務で立見参謀長と出会い、意見具申する前向きな将校の印象を与える。それが立見中将の第8師団長着任時、弘前連隊中隊長に指名、に繋がる。後の八甲田山雪中行軍の舞台にたてるチャンスを掴むがここで志を深化させ、冬季行動標準策定という次の課題を見つけ、歩一歩とその実現に向かって進む。深化した志はやるべきと信ずる事を追求する道しるべとなった。そして行軍間に次の課題も見つける。研究調査すべき事項の1番目『降雪及び積雪の戦術上及び休養上に及ぼす影響』がそうである。後の偕行社が募集する懸賞課題論文の先取りであった。

チャンス即ち運を呼び込むのも次の課題をみつけるのも志在ればこそ。志ある所、道は拓ける。深化する志に運もまた深化する。

三番目、福島大尉の自己研さんや軍務遂行の”流儀”-持論と正攻法研鑽へのこだわりが成長・進化の原動力

士官任官以来持論を持ち、その持論を大言と言わせない為に努力し、物事すべてに正攻法の研鑽を拘った。 初めての冬季課題作業(明治25年12月付与、明治26年3月提出)で『大言を吐くな、余計な事を書きすぎる』と批評された。これがなにくその思いと共にそう言わせない人物になる、決意をさせた。爾後の研鑽等の原点となる終生忘れ得ぬものであった。

八甲田山雪中行軍に挑み成功させることで今までの持論や言動が大言ではないと言わせて見せる、との気概があった。任官以来続けて来た戦術・戦史研鑽に加え諸外国典令や格言を調べ、雪中行軍で試すべき項目を抽出し、且つ其の内容(策定すべき行動標準の項目とその基準案)を定め、それを実験した。実行動と学理の吻合の仕上げが今回の行軍であった。

持論と正攻法のこだわりは福島大尉の”流儀”であり、成長・進化の原動力であった。

四番目、篤い思いと私心のなさー人間力の核心であり、共動の核心

隊員との間では福島大尉の為すべき事や赤心などの篤い思いと私心のなさが十分伝わって共動の域に達した。田代までの約束であった嚮導がお助け小屋出発に際し、福島大尉の篤い思いと私心のない説得に応じ、青森迄同行する事に決し、以前同様先頭に立って道案内した。立見師団長は福島大尉に任せて、思いっきり活動させた。福島大尉の篤い思いと私心のなさを熟知していればこその援助であった。人間力や“共動”の核心であった。

五番目、理解者立見師団長の存在ー同志が居て、”事が出来た”

今までにも度々触れて来た。弘前中隊長への補職は立見師団長が指名したものであり、この指名で福島大尉の志は深化し、目指すものが具体化した。雪中露営演習、一連の実験行軍等の皮切り、では師団長は写真師を差遣し、成果を軍事雑誌に掲載する労を厭わず、次々によりハードルを挙げる福島大尉の挑戦を受け止め、愈々八甲田山の局面では背中を押して同地に立たしめた。八甲田山雪中行軍ではうまく成功したら天皇陛下へ奏上と励まし、構想段階からすべてを任せ、思いっきり活動させた。理解者と云うよりは寧ろ同志の仲と云う表現が適切に思える。

終わりに

八甲田山雪中行軍で福島大尉が為し、成した事は立見師団長と云う理解者を得て、冬季大陸で露軍に勝つ冬季行動標準作り、であった。その為全軍の先頭を歩み、八甲田山に立つ途を自分で切り拓いた。そして厳しい場を求めそこに身を置きながら無事故も達成する,という誰もなし得ない偉大な業績を打ち立てた。

残念ながらその事実を正確に知る人は少ない。私の知識は半端であり、見方や考え方も偏りがある。しかし、111年余の時を経て、一人でも多くの人が福島大尉やその業績などに興味や関心を持ち、正当な評価をする。私の旅がこの道筋を拓く事に少しでも役立てば望外の幸せである。

為(成)した事で私が確実に言える事は厳冬期山岳通過雪中行軍の成功で大陸での国難対露戦、酷寒克服はやれば出来、而も無事故で、を行動で示した。そして陸軍内外において、一廉の人物として、雪中行動第一人者と認められた事である。

この稿終わり
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熟者《事を為すリーダー》福島大尉への歩みーその十三 八甲田山雪中行軍の総括 [福島大尉の実行力を訪ねてー愈々八甲田山パート3]

始めにー切り口

八甲田山雪中行軍を事を為す(成す)視点即ち塾者《事を為すリーダー》へ繋がったものを拾う事で、総括したい。

本稿はブログ「八甲田山雪中行軍ー非常の困難を思うその一馴致」~「八甲田山雪中行軍ー非常の困難を思うその十一 伝えたかったものその三(終わりー何故公表したのか?)」及び「八甲田山雪中行軍におけるリーダー福島大尉の実行力ーその一先ずは”実行力”の再整理」~「八甲田山雪中行軍におけるリーダー福島大尉の実行力ーその十五”山場”を越えて、意を強くした事(続き)」に対応させている。

切り口ー想像を越える厳しさを克服し無事の帰還をもたらしたものは?

元々厳冬期連続山岳通過は誰も試みた事のない、冒険的要素の強い前人未到のものであった。これに加え、厳冬期の中央山脈に於いては地形が、八甲田山に於いては気象の険しさが想像を越えていた、加えて行軍間に青森県のみならず全国を襲った未曾有の大寒波も又想像を越える険しさであった。それらの複合した想像を越える険しさを克服できたものは何か?を切り口として、その”為しよう”と”成しよう”の両面から、塾者《事を為すリーダー》に繋がるものを見出したい。

一つ、 事の”為しよう”から見えてくるもの

一つ目、高見を目指し、厳しい場を求める確固不動の信念

全軍の冬季行動標準の策定が自らに課せられた義務と捉え、遥かな高見を目指して、高い練度と真の研究成果が得られる厳しい場を求め、階段を一歩又一歩と上がって来た。

厳しい訓練で予想外の厳しさや困難を克服する経験は戦場での予想外を無くす。だから天気の良い日の行軍などはくその役にも立たない。望むは厳しさ、かって経験した事のない厳しさこそ望む処。だからと言って犠牲者はもっての外。厳しさと安全の同時追求が至高の課題。

厳冬期の山岳通過行軍は大陸での酷寒で戦う国難日露戦争に勝つ、真に役立つ部隊とするための名誉ある先陣であり、必ず成功させ、露軍に学び・並び・越えるを果たす。

二つ目、確かな構想

凡てを任された福島大尉は目途(めど)とそれを補強する、が噛み合った構想の確立・具現・準備・実行を一途の方針で貫いた。

一番目、予想される非常の困難に打ち克って任務を達成する目途(めど)

岩木山終了後の早い段階から、八甲田山雪中行軍は「疲労による落伍者を出さない為、睡眠と休養と労働のバランスを取った行程とし、隊員に増加の負担を負わさない村落露営」とすれば(2本の屋台骨)出来る、と目途を持っていた

二番目、目途(めど)を補強する構想

少数精鋭編成、東北の冬を熟知する隊員を選抜、嚮導を全経路使用、疲労させない行軍法の採用等を補強し、目途を成算に変えた。

三番目、福島一任

編成・構想・計画・準備等の凡てを任されて思うように事を進めた。その大元に自らの問いかけで八甲田山の扉を開け、成功すれば天皇陛下に奏上すると励ました立見師団長の有形無形の援助・指導があった。

極致・修羅場では強いリーダーが不可欠である。唯強いだけではない。福島大尉は先を見て深く読み、明確な方針・構想を持って準備し、事に臨んでは良く決心できる強いリーダーであった。立見師団長は唯一の任されるものに本気で凡てを托した。ここまで立見師団長の心を掴んだ福島大尉の研鑽や軍務遂行の”流儀”にも注目したい。

任されて一途の方針のもとに準備し、リーダーが持てる全能力を発揮出来た事もまた想像外の事態を乗り切る要因の一つである。

三つ目、非常の困難に挑む4つの周到な準備

一番目、疲労を持ちこさないで身軽に行動する、を狙い、労働と休養と睡眠の調和された行程と村落露営を構想全般の基盤(屋台骨)とする準備。

二番目、・・・にも拘らず疲労の極で、長丁場の終盤に最大の難所八甲田山越えとなる。ここの乗り切りを最大の課題とした全般構想を具体化する準備。現地に詳しい少数精鋭編成で全経路部外の嚮導(八甲田山は7名、その他の区間は1~2名)を確保する等。

三番目、・・・・その八甲田山越えでは、万一の露営、最悪事態を予測してこれに本気で備えた準備。万一の場合だから、と手抜きせず、露営施設構築法を確立し教育を徹底する事や器材の携行分担を定めるなどの準備を周到にした。寒風・酷寒・吹雪の田代台では行軍に難渋し、終に夜間、露営を決心せざるを得ない状況に陥った。しかし疲労困憊にも拘らず、全員心を合わせ、円滑に露営へ移行し、最悪事態を無事乗り切った。

四番目、全行程を覆う非常の困難は凍傷(死)・疲労・転落等による怪我(死亡)の厳しいリスクを伴った。これを最大漏らさず見積り、対処を全うする準備を行った。

とことん(隙のない質の高い)と大観小察の準備が強く印象に残る。特に大局観(疲労のピークで難所八甲田山越え)に基づいた努力指向を適切にしその準備のレベルの高さ(岩木山を越える困難に対応できる準備)が想像外の事態に堪え得た要因の一つである。

四つ目、非常に困難、予想外であった行軍を成功させたもの

一番目、総論

前人未踏に加え未曾有の大寒波襲来の中での厳冬期山岳通過は非常に困難であった。その非常の困難の本質は中央山脈では地形の険しさが八甲田山では気象の険しさが齎したもの、であった。

中央山脈通過では連山地が齎す地形の険しさから、降雪・積雪に方向や道を誤り危点に迷い込み、足もとを誤って、転落する危険と隣り合わせであった。この為の慎重さが特に求められた。

八甲田山の険しい気象は田代台行軍では目的地に行き着かず、隷下11度の最悪の露営の、八甲田山越えでは49時間の不眠行軍、道筋を探し続け、不眠・疲労の極限行軍の、止む無きに至らしめた。

以上の非常の困難、想像外を克服するのに一番預かって余りあったものは嚮導の働きと福島大尉のリーダーとしての力量及び全員の”共動”。リーダー力の発揮に最も特徴的であったのは先見性と4つのリーダー力個々のレベルが高く、それらが有機的に結合していた点である。

二番目、嚮導の働き

全経路地元の嚮導を使用した。特に増澤から田代間は7人の嚮導で行軍。嚮導は高地を敢えて進み、強い北風を身体で受け、身体で方向を感じて、一面の雪世界の原野の道案内をした。露営間、軍人は露営地に残り、嚮導7名中、5名のみで暗夜・吹雪をついて捜索に出発、空き小屋を発見して戻り、全員移動して休養。この休養で隊員は力を得て累計49時間の不眠行軍に堪え、八甲田山を無事越えることが出来た。当初田代までの約束であったが、空き小屋での休養間に青森までの同行に決し、以前と同じように先頭に立った。険しい山岳気象に悩まされながら、雪の下の道筋を求めて、終始嚮導7人は先頭に立った。先頭は2人一組の3交代で、雪踏みを行い、一人は道案内を務めた。一人の故障もなしでローテーションを守り、大きく道筋を外れる事も無かった。危険を避ける為道筋探しは慎重にならざるを得ず、長時間を要した。疲労・不眠・動作緩慢等の進行は避けられない行軍であったが、嚮導7名は成功の立役者であった。

吹雪・深雪の中での先頭に立っての雪踏みは体力を消耗し、3交代制で休養し、疲労を回復するローテーションがなかったら道案内は間違いなく頓挫したであろう。その外、田代台上、吹雪で視界が効かない雪世界の原野で、身体で風を感じ、方向を判断した道案内、空き小屋での休養に繋がった露営間の捜索行動、青森まで延長しての従前同様の道案内など、どれか一つ欠けても行軍の成功はおぼつかなかった。

福島大尉は行軍様相を深読みし、増澤から田代間の嚮導は特別に多数が必要と判断した。増澤から田代間の嚮導は文書郵送の依頼とせず下士官に携行させ、直接手渡しさせ、渋る地元の協力を引き出した。これも又想像外の事態を乗り切る大きな要因であった。

二番目、福島大尉のリーダー力

その一、先見性と実行力

誰よりも時代の先を見て、戦いと訓練のビジョンを持ち、一連の演習や実験行軍を積み重ね、終に八甲田山に立った。非常の困難を予測し、様相を深読みして、地元出身者で編成し、部外の嚮導を全経路(増澤から田代は7名)に配し、十和田湖断崖道通過が最も難所と見ぬき、舟行の準備を行い、万一の最悪事態である田代台での露営を予測し、これに本気で備えた。

行軍間に於いても、目前の事象にのみ捉われず、常に誰よりもその先(次)を見据えていた。露営間には隊員を休ませるため、休憩所を捜索させた。お助け小屋の休憩間、田代までの約束であった嚮導を青森まで同行するよう説得した。

①時代の先をよんで、一人挑み道を切り開く。②事態の推移を深く洞察し、先行的に手を打つ。③極限で次を見据え、手を打ち、全員の心に灯りをともす。以上3つの先見が心を打つ。

3つの先見に深くかかわる実行力も又リーダー福島大尉ならではの際立った資質である。①に対応して思いを形にする。②に対応して先行的にとことん手を打つ。③に対応して迷いなく決断する。以上3つの実行力も又心を打つ。

リーダーの先見性と実行力は想像外の事態乗り切りの大きな要因である。

その二、4つの力の有機的結合

最悪事態の露営決心~構築作業では4つの力の関係を指揮力に他の3つの力が収斂された形で見ることが出来る。田代台の行軍に難渋し、目的地に行き着かず、嚮導も根をあげたので、枯れた大木の周りに露営地を選定し、露営を決心し命じた。隊員は3ヶ組に分かれて作業を分担した。1組目は薪炭に充てる枯れ木を伐採収集し、2組目は半径4m・深さ2mの雪洞を構築し、3組目は火を焚きつけた。各人は出発時から万一の作業分担に応じられるよう所要の器材を携行していた。施設を2時間で概成し、露営に入った。同じ場所に同じ姿勢で居る事は凍傷(死)に直結するので、一人たりとも座らせない・眠らせない為、3つの組に分けた。1つは施設内で露営し、1つは薪炭材を収集し、1つは施設の外で足踏みした。

指揮者としての働きはこの決心・命令に凡て包含されている。

管理者としての働きは露営を最悪事態と考え、要訣は側方からの風雪を防ぐ現地の雪だけで造る施設と見極め、露営施設の規格及び構築手順を明らかにし、予め器材の携行担任を示した露営(準備)管理等に明らかである。

指導者としての働きは命令後2時間で構築を完了し、露営間一人の睡眠者・凍傷患者を出さなかった練度の高さに表れている。八甲田山雪中行軍に先立ち、露営施設構築法を事前に確立徹底し又露営間の心得について事前及び露営間の指導よろしきを得たからである。

統御者としての働きは疲労困憊にも拘らず、全員が心手期せずして、一糸乱れず動く域にあり、露営間も睡眠し或いは援けを要する疲労者に一人もならなかった。緊張の緩む者が皆無であった事を以て明らかである。福島大尉が最悪に本気で取り組み、常に率先陣頭の姿から隊員は指揮官に対する信頼と任務必成の執念及び落伍者にならない慎重さ等良好な感作を受けた。

指揮者の決心処置を他の3つの働きが可能ならしめている。指揮者に他の3つが収斂し、有機的に結合している形をこの露営決心の局面に見ることが出来る。

その三、4つの個々の力の卓越

その(一)、 指揮者
         
福島大尉は豪胆にして冷静・細心な指揮者である。         
①宇樽部では、23日夜半に未曾有の大寒波が襲来し、土間で蓆にくるまりまんじりともしないで過ごした。その翌朝、寒波が続き、全員が今日の行軍は取りやめ、と信じた中で、一人出発を命じた迷いのなさ。

②27日田代台行軍で、大中台を過ぎて、天候急変、嚮導も引き返しを勧めた。しかし「ここまで来たら引き返すも行くも変わらない、覚悟を決めて前進せよ」と続行を命じたたじろぎの無さ。

③28~29日疲労・不眠・空腹の極致で、ひたすら歩き続けるしかない、に堪え、且つ疲労者を励まし、幻覚に多くの者が陥った中で一人冷静に状況を判断し喝を入れ、暗夜吹雪の中で、嚮導が度々道を誤った際にも決して落胆せず、終始地勢判断をして方向を示した、皆の中心に居て不可欠の存在感、毅然さ。

④露営間の長内文治郎宅捜索隊派遣の決心に際し、綻びを未然に防ぐ為、部外の嚮導7名の内、2名と荷物を全部残置させ、残る5名を派遣した事や摂氏零点下12度にまで気温が下降しないかどうかに関心を持ち、若しそうなった場合に惨たる露営よりは行軍開始を選択せんとした細心さ。

⑤29日、田茂木野到着時の木村少佐への報告に見せた沈着・冷静さに驚く。発見した凍死体や2丁の銃について、その事態の意味を理解できなかったとした上で、発見場所や状況などを冷静に報告し、尚爾後の行動予定についても伝え、行軍続行の姿勢を示しながらも指示を受ける(捜索救援に協力する)心配りも見せている。49時間の不眠・疲労困憊の中とは思えない冷静さである。

その(二)、管理者

上記指揮者の豪胆にして冷静・細心な働きを可能にしたのが管理者としての働きである。

管理者としての働きは冬季行軍そのものの管理、行軍部隊の管理、参加する隊員の管理、業務の管理(準備・危機・安全・健康衛生)等々多岐に亘る。何れも現状の問題点等を把握し、その対策や改善・向上策を講じて任務達成上のあるべき姿に限りなく近づける努力をしなければならない。それも限られた時間で・・・。福島大尉はこれらの一つ一つを丁寧に執念を持って行い、自信と余裕を持って、指揮者としての働きをサポートした。

特に3つのリスク(凍傷(死)・疲労・転落等の危害)の具体的危険見積りは指導者としての働きと相まって全員の危険箇所・状況に於ける自覚した注意深い行動に繋がった。

その(三)、指導者

指導者としての働きも又上記指揮者の豪胆にして冷静・細心な働きを可能にした。それも、現地でのと云うよりは管理者と同じような事前の働きによるところが大きい。

指導者は冬季山岳行軍を成功させる為、隊員や部隊としての能力の現状や問題点等を把握し、指導方針を確立して指導し、任務達成上のあるべき姿に限りなく近づける努力をしなければならない。それも限られた時間で・・・。そこに少数精鋭で将来の指揮官候補者である見習い士官や下士を選抜した効果が出てくる。

前述の3つのリスク(凍傷(死)・疲労・転落等の危害)発生について、場面と結果の深刻性などを理解させ、又最悪事態の露営移行ではそれに加え、構築施設の規格や構築手順などを指導徹底し、万一だからそこまでしなくても・・・等という緩んだ(横着な)気分を一掃した。

現場で、指導は殆ど確認程度、常に率先陣頭であった。その変わらぬ姿は自らがやらねばの意欲と福島大尉がそこにいる安心感・手を抜いてはならない緊張感を与え続けた。

この八甲田山でも次のリーダーを養成する、過去の一連の行軍でも行ったように、場として活用した。即ち見習い士官や下士主体の編成とした。彼の持論の教育方針である、直上位を行なえる力を着けさせる、を修羅場でも貫いた事に単なる結果(成功)に拘らないリーダーとしての器の大きさを感じる。
        
その(四)、統御者

全軍の為を私心なく、実践して一歩一歩実績を出してきた。そのバックボーンである旺盛な使命感や責任感と隊員を護る情熱、は隊員の心をうち、福島大尉と共にやりたい、と思わしめるようになっていた。

リーダーの自信と余裕は無謀とも思える行軍であるにもかからず福島大尉が早い段階で成功の”目途”を掴んでいた事と周到な準備特に危険見積りの徹底によって、隊員にも伝搬した。

隊員は疲労の極に於いてリーダー福島大尉にとても叶わないという畏敬の念と安心の思いを持った。

三番目、共動

福島大尉は周到な準備をし、難局では豪胆にして冷静・細心に指揮・行動した。露営間に捜索隊を派遣する等常に誰よりも先を見て手を打った。疲労の極の49時間の不眠行軍の間、常に率先陣頭であった。
隊員はリーダー福島大尉の意の如く動いた。命令指示通りと云う意味に止まらず、慎重に行動すべき時には慎重に、寝てはならない場面では不眠、倒れてはならないならない場面では倒れなかった。現場で福島大尉が口やかましく指導する姿は無かった。

以上から、リーダーと隊員は一方的な上下関係でなく、共に事を為すという意識を持つ”共動”の域にあった。

心を一つにして各々が自分の役割を積極的に果たす。言うは易くして行うは難し。これを実現した福島大尉の人間力に敬服。一人一人の力の和にプラスアルファーを作りだした。そのプラスアルファーが想像外の事態を乗り越えさせた。

以下次稿に続く
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