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熟者《事を為すリーダー》福島大尉への歩みーその十四 論文「影響」総括 [福島大尉の実行力を訪ねてー八甲田山以降の歩み①]

事を為すリーダーの視点で論文「影響」を総括ー塾者への歩みに繋がったものを拾う

始めに―為した事の意義

本稿はブログ「「降雪・積雪の戦術上に及ぼす影響」に於いてわれ虚名を釣らず その一、予想外の副官就任」~「論文「降雪・積雪の戦術上に及ぼす影響」においてわれ虚名を釣らず その七 立見師団長再び登場」に対応させている。

”為した”事の意義

懸賞課題に応募し、優等賞を得、続く収集論文にも引用された。
優等賞を得た論文では八甲田山雪中行軍には一切触れず、戦史・諸外国の典礼等及び戦術書のみで論述。内容的には冬季に於ける戦いの原則的事項を抽出し、その応用方略と困難克捷の方略を主に論述した。偕行社記事320号(明治36年8月)及び第321号(明治36年9月号)に掲載され、そのユニークな視点は際立ち、「今や冬季は休戦ではなく、戦い継続が常態」、「冬季戦いの原則的事項とその応用方略」等啓発書としての意義は高かった。

収集論文にも優等賞論文等から多く引用等され、収集論文が持つ陸軍の冬期訓練の参考(準拠)書作りに結果的に参画した。本来福島大尉が目指した冬季行動標準作りー第五連隊遭難で頓挫したーが形を替えたものであった。

以上から、為した事の意義は啓発と冬季訓練の準拠つくり(参画)の二つ。その意義は熟者としての評価に繋がる。それを齎したものは4つ、①今、やるべき、と信じる事に挑む。②潮流に乗り、目指していた処に近づく。③次への展望を拓く布石。④理解者立見師団長の存在。

一つ、今、やるべき、と信じる事に挑む

やるべきと信じる事に挑むスタイルには3つのパターンがある。

一つ目、制約の中で、やるべきを見出す積極性ー最善と創造

第三十一連隊の行軍隊は第5連隊遭難の陰に隠れ、福島大尉は自らの行軍について語ることをせず、沈黙した。偕行社記事308号(明治36年2月号)で本懸賞募集を知った福島大尉は即座に応募を決心した。答解は当然応募者が自らの体験を基にする事を前提としていた。八甲田山雪中行軍について語らない、で書く以上大きな不利はあったが、それなりの成算はあった。冬季行動標準の基になる戦い方の理念が野外要務令では示されていないので、そこを問題意識として降雪・積雪の戦術上に及ぼす影響を考えて来た。誰よりも先に。

その成案は論文内容の肝ー①冬季戦は夜間と山地の戦いの原則に似たり、その克捷方略はこれこれ、である。②幾重にも重なる困難が特性であり、その克捷方略はこれこれ、である、ーにある。その肝は持論と正攻法の研鑽で積み上げてきたものであり、目の付け所の奇抜さを表している。同時に与えられた条件の中で自分がやるべきと信じる事に敢然と挑み、最善を尽くす。全軍の緊急課題に役立つと信じる事に、私心を捨て、結果を恐れず挑む姿の”体現”であった。

二つ目、前向き、俺がやらねば

この時期、弘前将校団のため、弘前偕行社に図書館設置の発起人として奔走し、設立に動く。

明治36年4月、図書館設置の儀を旅団長名で通報。図書館を弘前偕行社内に設ける事で偕行者幹事長閣下(立見師団長)の御認可を受け、在弘前各部隊将校にご協賛を得たい、との趣旨。

仏国では図書館なるものがあり、非常に有益、との報告にならい、地方衛戍将校の勉学研鑽の一助と為す。この為将校は各自俸給の300分の1を月々拠出し、これを1年半積み立て、明治37年中の完成を目途に、施設及び図書購入に充てる。

施設は偕行社の施設内とするか別に空き地に立てる。施設内なら、施設費が浮き、大部分図書購入に充てられるのでも申し分なし。図書館建設計画は工兵将校に依託、建築は軍隊「大工」自営。

揃える図書は一般軍事書類、戦史及び緊要軍事書、地図、兵器及び所要地図、在弘将校の作業書類、雑書・図画、外国図書・新聞雑誌、撃剣道具、軍以上緊要な器械、書籍棚・机・椅子・黒板等。なるべく出費が嵩まないよう偕行社等に協力依頼し、又将校の拠出を歓迎する。

師団長の認可をとりつけ、非常に高い志で将校は勉学研鑽の場が必要と前向きに発起人として動く。特に、初級将校時代の軍事参考書等の負担は並み大抵ではなかったので、初級将校が共有する形があれば有益、との思いが強かったのだ。

最初に賛同し行き足を着けてくれたのが永沼騎兵中佐。後に日露戦争で放胆な騎兵の敵後方擾乱作戦を敢行し、大きな成果を挙げた、人である。

写真(下、前景)は明治37年に建てられた弘前偕行社、現在は弘前厚生学院記念館内に現存。偶々3度目の青森(h24.9.20)訪問の際、弘前駅前の案内板で偶然目にして訪れた際のものである。


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偕行社内には図書室(写真下)が設けられていた。福島大尉の希望が尊重されていた訳でこれが確認出来たのは何物にも代え難い喜びであり、収穫であった。

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最後に、突然の訪問にも拘らず快く案内していただいた・・・氏に篤くお礼を申し上げる。又このように立派に保存運営して頂いている弘前市教育委員会と弘前厚生学院記念館に敬意を表したい。

三つ目、あるべきから外れ或いは為すべきを為さない、を悪む

あるべきから外れる、を許さなかったt旅団長への極諌(参照ブログ「論文「降雪・積雪の戦術上に及ぼす影響」においてわれ虚名を釣らず その三、極諌ー分った!立見師団長の本心」)。為すべきを為さない、を許さなかった桂陸軍大臣来弘前時の営庭に於ける中隊教練(参照ブログ「八甲田山への道のりー基礎固めの中隊長勤務その一)。何れの行動も私心のない本気が特質である。前者は免職も覚悟するが、t旅団長は予備役編入、本人は御咎めなしの山形中隊長への転属、という結末。立見師団長は最後の最後で福島大尉への思いを露わにし、二人の関係は新たな次元に入る。本気が立見師団長の本心を引き出した。

後者は大臣視察を敬遠して営庭を避ける他中隊の動きに反発しての営庭訓練ではあったが雪国衛戍部隊に対する訓練不足の懸念を一掃した。私心の無い本気、何時でも即動し得る中隊を錬成している自信が桂大臣の安心と信頼を獲得し、新編直後にもかかわらず精鋭第8師団の旗を掲げる事、となった。

この3つのパターン、積極性・前向き・本気、に共通するものは今、やるべしと信ずるものが常に【・・・・の為に】となっている事。即ち【全軍・弘前将校団・第8師団の為に】なると信じるものを私心なく(一身を顧みず、失敗を恐れず)、人任せにせず追及する姿勢である。

二つ、想定していなかった潮流に乗り、目指していた処に近づいた

論文に応募するところまでは福島大尉の想定内。しかし、本人が気付かない潮流があった。それは応募論文を一本にしての収集論文作成の動き、である。偕行社の計画ではあったが参謀本部の検閲を受け、訓練の準拠としての性格を持つ。第五連隊遭難で頓挫した冬季行動標準作りに形を替えて関わり、目指していた処に近づいた。

やるべき、と信じるものを持ち続け、懸賞課題募集の機会に、第五連隊遭難の沈黙というハンデー(制約)を後ろ向きに捉えず、持論【冬季戦の原則的事項とその応用方略其の他】展開のチャンスとして、応募し、優等賞を受賞した。

全21編の力作は優等賞の表彰だけでは惜しい、と当局に思わしめ、第7師団に依頼して、参謀本部が検閲する収集論文作成の動きとなった。この中に福島所論や今回の福島論文は引用された。

この想定していなかった潮流、他力に乗れたものは①やるべき、と信じるものを持ち続け、②前向きに応募し、③時代にマッチした濃い内容の3つであった。

三つ、次への展望を拓く布石

論文の肝であるー①冬季戦の原則とその克捷方略②幾重にも重なる困難とその克捷方略ー以外にも陸軍参謀本部の目に留まった事がある。①露軍への深い関心と研究・調査②補遺で示した兵を護る視点である。

これが新しいうねり、となって福島大尉を直撃する。福島大尉の力作は本人は意識していなかったが、次への展望を拓く布石となった。この事は次稿からの論文『露国に対する冬期戦術上の一慮』の旅の中で触れたい。

四つ、理解者立見師団長の存在

立見師団長は陸軍参謀本部戦史室への招聘を断り、旅団長副官に補した。旅団長との確執、極諌問題に際しては事が明るみに出、陸軍省人事課が動くに至り、最後の最後で、福島大尉の肩を持ち、本心を表した。

その本心とは福島大尉はどうしても手放せない、の一事。その積極性は師団全般の訓練練度向上に波及し、その戦場働き、義勇は比類なし。

この気持を理解した福島大尉は今まで以上にやるべき、と信じる事に最善を尽くす。それが立見師団等の思いと合致し、二人の関係は新たな境地へと入って行く。

山形歩兵第三十二連隊中隊長への補職には大きな意味があった。

終わりに

本論文は福島大尉が人生で、二番目に為した事である。福島大尉が為(成)した事は冬季戦の原則と応用方略などの啓発提言及び冬季訓練の準拠つくり(参画)の二つであるが、もう一つある。それは参謀本部を動かす布石である。詳しくは次稿からの旅で触れたい。
この論文で、明治陸軍における特異な冬季戦(備)論者としてその名を広く知られるようになった。

この稿終わり
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