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論文「露国に対する冬期作戦上の一慮」に込めた思い その四 訴えたかったもの(続) [福島大尉の実行力を訪ねてー八甲田山以降の歩み②]

六つ、露軍に勝つポイント

『第4章 露土戦役に徴して冬季間に於ける露軍の評論』に於いて、露軍に勝つ(付け入る)ポイントを3つ挙げている。

一つ目(其1 露軍の困難と土軍の無能)ー非常の困難に陥り、弱点を呈す

一番目《状況の概要》

1877年12月下旬から78年1月上旬に亘る露軍のバルカン山越えに於いて、将官グールコと将官カルゾッフの指揮する2縦隊は甚だしき困難に陥った。グールコの右迂回縦隊は始め工兵が堅氷を開設した道路以外頗る困難であったが12月28日降路で大雪となり、砲槓は兵卒60人で挽行し、氷結した路面を下す時、輓馬も滑倒し、難渋した。このような状況であったので、堆雪中に数次徹夜の露営をし、砲兵は橇で運搬した。

カルゾッフの縦隊は自ら雪を払い道を探り木を伐り石を除いて道路を開通して進んだ。1月4日~6日は寒気烈しく列氏零点下22度で、砲槓は分解し、橇に載せ、駄牛を挑発して1門に48頭で之を牽かせた。

この困難中に土軍は逆襲し得る時機があったのに之を行わなかった、のは遺憾であった。

二番目《評論の要旨》

大雪中の行軍に際し、兵卒60人或いは駄牛48頭を要したり、数夜にわたる露営をする困難に陥り、敵前にその弱点を露呈した。その忍耐や頑張りは讃えなければならないが若し土軍がこの機に乗じて逆襲等行っていたらひとたまりもなかったであろう。

露軍は困難であればあるほど立ち向かう勇敢さがある。しかしそれにとらわれ過ぎる傾向がある。山地で数縦隊の分進に加え砲槓の輸送、露営など重なる弱点を呈示した。この傾向は今冬の戦いでも必ず出現するはずである。そこが付け目である。

二つ目(其2 露軍の危急)ー準備不十分で作戦を決行し、大損害を蒙るの弊あり

一番目《状況の概要》

露土両軍はバルカン山で拮抗し、露軍はシプカ嶺の首なる陣地ニコラウス山に久しく陣地を占領した。此の陣地は悉く積雪に覆われ、気温は列氏零点下20度に低下したので露軍の患者頗る多く、殊に他の部隊より遅れて来た第24師団は甚だしかった。12月25日までに6000人以上の病死者、12月24日の如きは1連隊中に630人の病死者をだすという多さであり、この師団はやむをえず後方に還らしめ代わりに第4軍の第30師団を充てた、という。

二番目《評論の概要》

ヨーロッパに於いて、露軍は頗る冬季戦闘に適する兵であるとの評価が定着し、露軍自らも又降雪は援軍若しくは良友の如くおもうと聞くが事実は之に反している。バルカン山に対する防寒準備不十分なりしにも関わらず之を決行したに相違ないが、その損害の多さより考えると露軍の冬季に於ける動作は恐れるに足らざるなり。
又、論文「影響」で、露軍はその規模が大過ぎて装備のレベルや訓練の練度について全部が揃う事はあり得ない、どこかに弱い部分があるはずである、との主旨の事も述べている。

三つ目(其3 露国将官の戦法)ー不慮の故障による過失を生じる弱点有り

一番目《状況の概要》

1877,78年戦役において、露軍はバルカン山での戦闘で、敵の背後を脅威することに勉めた。その方法は首力を土軍の正面に対せしめ支隊を持って側面より土軍の背後を切断する、にあった。露将ラデッキーはシプカ嶺を越えるこの方法で土軍を捕虜とし、又露将グールコもエトロポールに於いてこの方法を用いた。この時土軍はいち早く遁走したので露軍は大功を奏しなかったが兎に角も勝利を得た。

二番目《評論の要旨》

露軍が分進合撃の法を採用したのは適当かも知れないが積雪深き山中では時間の計算が確実ではない。仮令確実であっても往々不慮の故障が発生すること少なくない。現に露軍はバルカン山において幾回か之が為に過失を招けり。

本項は福島大尉の先見性を示唆している。

七つ、冬季・厳寒における大陸ならではの困難克服法

福島大尉は大陸での対露戦に於いては広大な地域における野営法へ習熟する事及び歩・砲・騎の協同の見地或いは砲の推進や補給品の輸送(追走)などの為の馬と橇の扱いに習熟する事がポイントとみていた。

一つ目、(第5章冬季に於ける野営)ーキピトカと穴居の紹介

福島大尉は野営法習熟の必要性を以下のように述べている。将来松花江並びに黒竜江の河孟に沿いて前進するにあたっては完全なる宿営をなす能わざるは又已むをえざる所である。

一番目(其1) キピトカ

携帯天幕は寒地に於いては限界があり、成し得ればキピトカを組成するのが良い、として独国プファイル少佐の露土戦役従軍記録中のシストワに於ける露軍野営の状況を記せる一節を紹介している。

キルギス人が荒野に於いて使用するものと同じで、木材を以て組みその上に毛氈を敷く。中央に火を焚き煙は覆蓋の穴より出る。運搬に要する材料が必要であるが、麻製の天幕に勝れること数等で展張・撤収が早く、天幕より夏涼しく冬は暖である。

二番目(其2) 寒時に於ける穴居

1877年10月ハインキョイ渓谷に於ける露軍の駐衛法ー施設や日常生活等をこまごま紹介している。

将校及び下士卒は宿泊に堪えるべき廠舎中に1中隊の将校も合して住したり。その構造は人員に応じる広さを有し、深さ4歩の穴を掘り、その穴の上に粘土及び灌木を以て小舎を立てたものである。以下小爐腰掛机などの付属品。食べ物として肉・野菜・乾麺麭を製造者と共に紹介する等している。

三番目(其3) 寒地に於ける携帯天幕の構築法に関する注意

緊要の一事として支柱或いは控え杭を地上若しくは氷雪上に植立すること、であると述べ、凍凝する時は岩石に等しい固さであるので、豫めその一端を尖鋭にせる小鉄槓を携帯する必要がある。

以上1から3番目を通じ、福島大尉が実際的にその生活の質(レベル)を高くすることに如何に意を用いているか、が伝わってくる。

二つ目、(第6章 軍用橇に関する卑見)ー戦場にある現地材料を用いて作る橇の検討

シベリア及び満州の交通路は冬季は主に橇を使うと聞くので、橇を必要とする諸隊は冬季の軍用追走品として豫め之を準備するか又は少なくともその図案原料等を調査して置く必要がある。

その橇は2種類がある。人力橇、馬力橇(仮称)である。前者は雪中山地行軍時に小行李運搬用に、馬力橇は砲槓の運搬又は輜重兵用に適する。是等は何れの木工、いずれの木材でも製作可能なものではないので単簡で現地材料でできるものが望ましく、この調査研究は緊急である。

三つ目(第2章露国将官ウォカックの説話 其3兵卒と馬匹に関する防寒の意見)-馬を労わる

馬匹の防寒は只鞍下部を十分にすれば足りる。その他に1日2回の飼養法を3回とし、極寒時には6回として飽食懈怠せしめず食欲を終日均等に保たせる必要がある。又飼料を減じ草料を多くすると良い。ロシア軍騎兵中隊長は夏時は定額草料の8/10を与え、その2分は貯蓄し冬期増量のように供す。これは10数年来の実験により得るところの慣習であり、露軍将校の良く是認する所である。馬匹が飼桶を噛み、僚馬の鬚尾を喰うするは其冬期乾燥料を欲するの証しと為すべし。

福島大尉の目線は馬にまで届いている。馬にまで細心の注意を払って始めて戦力は充実するとの意が伝わってくる。

四つ目(第8章寒時の糧食 其3屠獣具) 屠獣具

福島大尉は何故屠獣具か、の理由を2つ挙げている。一つは冬季は専ら肉食を為して体温を保持する必要がある事、もう一つは満蒙地方は牛豚が多いので生きた牛豚を携行し之を屠殺して休養に充てる場合が多いと考えられる事。
それを受け、日本陸軍の参考とする為、独国軍隊が携行する屠獣具の規定を紹介している。

次稿に続くؙ
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